半年も前の会話をそのまんまきっちり残してるのに、それは人の気持ち次第で増やすこともゼロにすることもできるんだ。
残ってることがキモチワルイくらい嫌いになれたらよかったのにね。残ってるのを見ていろんな会話思い出して、さすがに気持ちまではきっちりとは思い出せなかったけど、この半年間はいつもまっすぐ自分の気持ちに嘘つかなかったことがよくわかりました。はっきりと宣言したことほとんど今も継続中だし。
一年前はそんなことちっともできなかったのにね。
ムカついた瞬間に全部消しては仲直りして消したことを後悔して、あの時はっきり言ったはずって言葉もあやふやになって結局できたのかできなかったのかもわからない状態で、不安定な付き合い方ばっかりしてた。
キレたらケンカの内容に関係なく暴言しか吐かないから、その時はそっとしといてね、ってそれも明言してたのにびっくりした。ほんとに自分の先で起こること想定できるようになったんだなぁって。まぁそれは単なる感動で特に価値も意味もないことなんだけど。
今ひしひしと感じてるのは、この半年間は完全に僕が悪かったんだということ、自分の気持ちに嘘つかないことで、別の人にいっぱい嘘をつかせていたということ。
よくよく考えれば、妹のことだって自己中なのは根っこにあるけど、ひどい言葉言ってしまうような態度をとったのは僕だし。
要するに今いたいほどわかってるのは、いろんなことを相手に求めて、自分も頑張ってみたけど、自分が頑張ってることを周りにも押し付けてたんだなぁって思う気持ちでいっぱいだってことです。
同時に、少し前までなら簡単に「死んでやる」とか言ってたけど、実際いまの僕が死んで涙してくれるのはほんとの家族だけだろうし、逆に死んでくれて清々したって思う人もいないんだろう。
それくらいちっぽけな存在が死ぬことに意味なんかない、どうせ死ぬなら人の心を動かして死んでいきたいね。
人の心を動かすってすごく難しいことだし、身近にそういう人はちらほらといるけどそれを真似したところで心動かせるかって聞かれたらそりゃ無理だって答えるしかないし。
たぶん僕は今でも、嫌いであっても好きであっても、人と連絡とることを一番面倒くさがる人間から変わっちゃいないし、人が僕を放っていくなら追いかけない人間からも変わってない。
実際、学校で元15組の人たちは優しさの塊だ!ってずっと言ってるけど、その人たちと今以上に親密になることは望んでないし、連絡も取ろうとは思わない。
前の彼氏たちが何してるか、ふと気になることがあって、その全部はすぐに会いに行ける距離にいても、向こうが完全に僕を忘れようとして変わったんだから会いに行こうとも思わない。あの時も悪かったのは僕一人だけど、それを謝ろうとも思わないし、もしかしたら…!って思うこともない。
それなのに、毎日連絡取ることにびっくりしたし、ケンカ売って悪かったのは僕一人なのに、それを謝るまで離れられないって思うし、放っていかれても追いかけてしまう。
人は何度でも変われるんですよってちょっと前にテレビで言ってたけど、それは時間じゃなくて出会いなんだと思う。
綺麗事いっぱいかもしれないけど、それが人を傷つけるものしかないのなら、どこも綺麗じゃない。
人をいっぱい傷つけて悪いこといっぱいした人に、人を突き離す権利はどこにもない。もう二度とこんなことしない、本当に大事なものに気付いたって人が、人から離れていく理由もない。
ほんとに反省してるからこそ、今までのこと全部ひっくるめて心に刻んで、残ってる手段も時間も全部そのために使って、ごめんなさい言わないと償いは終わらない。
どんな手段使ってもだめだって態度をとられたとしても、それを理由に反省の気持ちを忘れたらまた同じことをどっかの場面で繰り返すだけだから、忘れてはいけないことなんだと思う。
無視されても、拒否されても、一生会えなくても、1年間でいろんな大事なものを教えてくれた人を自分から遠ざけるようなことをしてたら、手放しちゃいけない大事なものを一生大事にできなくなるから。
これは僕の決意で、誰にも曲げさせない。けど、誰にも押し付けない。
僕はこういう芯を持って生きるだけで、それに影響を受けるか受けないかは周りの人それぞれが決めればいいことだと思うし。
出会いは簡単には消せないいろんなものを残してくれるんですよ。
残るものもなく出会わなきゃよかった、それは出会ってないのと同じ。
忘れようと思えばどんなことでも忘れられるかもしれないけど、誰かと出会うことは必ずなにかを残してくれるから、記憶を呼び起こすようなふとしたきっかけがそれを思い出させるから、それから目を背けても悲しくなるだけなのです。
積み上げた自分の一部が欠けて、それが忘れるっていう修復作業の完了したあとに戻ってきても、どうにもできないんだ。
難しいんだよね、人間って。